山本久博が美容学校を志望したのは、ただひたすら海外に渡りたいという一心からである。
「高校を卒業するころ、世は大学紛争真っ盛りで学園封鎖や入試中止があいついでいました。もともと勉強は好きじゃなかったし、どうせなら海外に出てみたかった。調べてみると、ロスに姉妹校を持つ美容学校が東京にあったんです」
当時、愛読していたのは、五木寛之の「さらばモスクワ愚連隊」や「青年は荒野をめざす」だ。小説の主人公たちが楽器を武器に海外に飛び出していったように、山本は、ハサミ一本で世界に旅立とうとしたのである。
裸一貫から成功した人は、誰でもワラシベ長者的な要素を持っている。転んでも、タダでは起きない。どうやら山本にも、運を芋づる式に手繰り寄せる才能があったらしい。一例を紹介しよう。
根っからの乗り物好きだった山本が初めてバイクを買ったのは、高校3年の時である。仮病を使って修学旅行をキャンセルし、旅行積立金を頭金にしてSUZUKIのウルフ90を手に入れる。このウルフ90とともに上京し、代々木の美容学校に通った。
「ヨタハチ、フェアレディSR・・・スポーツカーに憧れましてね、学校帰りに中古車屋さんに寄っては眺めていた。そしたら、若主人と仲良くなりましてね、ウルフ90を頭金にしてS6(ホンダS600)を組んでやろうか、という。見ると、隅っこにS6のスクラップが3台上積みにされている。いちばん上からボディー、真ん中からエンジン・・・という具合に部品取りして、結局、16万円で手に入れました」
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