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ロシアの美容の女神をも微笑ました
「最後に、せっかくだから美容室を見たいと思って、ある店を見学させてもらったんです。オーナーの女性に、名刺代わりに持参したヘアカットの英文冊子をあげると、彼女、めざとく僕がビダルサッスーンコンテスト入賞者であることを発見して、即席の講習会を開いてくれと頼んできたんです」 そうこうするうちに、どこで聞きつけたのか、TV局の女性レポーターが現れて、取材中に自分の髪もカットしてくれ、という。
こうして、かつて「さらばモスクワ愚連隊」に憧れて海外を目指した青年は、50歳を超えて再び、ヘアカットの腕一本で大冒険を軽々と成就させたのである。
実は、僕が初めて山本に会ったのは、1993年のアデレードだった。そのとき、僕は「ビーパル号」で第3回WSCのゴールに入り、山本は秋田大会(WSR)実行委員として視察にきていた。 編集制作プロダクションDECO代表。 著書に「新幹線をつくった男 島秀雄物語」等。 |
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