第七章 スプーンカーブ

一年ぶりの鈴鹿サーキットは、相変らず若者の熱気が溢れていた。

日曜の朝、スケジュール通りにサーキット走行が始まった。
オーバーホールを済ませて、入念に慣らしを行なった霞のエンジン、DOHC、600ccの怪物は、まるで電動モーターのように良く回った。 そして霞のマシンが走り去ったあとには、かすかにレーシングオイルが焼ける時の甘い香りが漂っていた。
また、ADVANのスペシャルタイヤも、びっくりする程のグリップを与えていた。
ヘアピンコーナーでは、タイヤのグリップに、パワーが負けてしまい、多少もたつく事があるものの、1〜2コーナー、S字、そしてデグナーでは上級クラスS800に、まったく劣らない走りを見せていた。
特にその仕上りの良さを感じさせるのは、スプーンコーナーと130Rの高速コーナーであった。
スプーンコーナーの後半で、外側からそのタイヤのグリップ性能を利用して、大胆に抜き去るその走りに、他のドライバーは舌を巻いた・・・・。
そして圧巻は、130Rの突っ込みで、ほとんど全てのマシンが、一瞬アクセルを抜くポイントで、霞は全くアクセルを踏みっぱなしでクリアすることが出来た・・・。
ステアリングをほんの少し左にあてるだけで、幾分回転が食われるものの、そこからの立ち上がりは全く他車のそれとは違い、シケインまでの短い直線で、軽々と他車をオーバーテイクするのであった。
さすがに一時間程走ると、幾分疲れを感じた霞は、一旦ピットに戻る・・・。
ピット前のレーンに止めた霞のマシンの回りには、その走りっぷりの良さに圧倒されていた他のクラブメンバーたちが集まって来る・・・。
「霞さん!、エンジンをチューンしたんでしょう・・・・!」
「足回りも、すごく安定してますね・・・・!」
「このタイヤ!、良さそうですね・・・・!」
等等、一つ一つその速さの秘密を突き止めるように観察を始める・・・・。

さっきデグナーで一台と、スプーンで一台、S8のメンバーが、あなたについて走っててスピンしちゃいましてね・・・、大騒ぎしていたんですよ。 『スゲー速いのがいる』・・・ってね。」
「ごめんなさい!、調子に乗って走っていて、後ろに気が付かなかったものですから・・・・」
「そうか・・・!、俺も来年はADVANにするぞー!」
それぞれが思い思いに会話を楽しんでいる・・・・。
<みんな無邪気な人たち・・・・>
霞の気持ちを、ほのぼのと暖めてくれる・・・・
ホンダスポーツという共通の喜びを分け合う無邪気な仲間たちである・・・・

再びヘルメットを被り、深紅のレーシングスーツに包まれたしなやかな身体をバケットシートに沈め、シートベルトを普段よりも数段きつく締め上げた霞は、元気にピットを飛び出して行く。
第一コーナーをインベタで抜けた後、少しずつコーナーを攻め始める・・・。
逆バンクを抜けた辺りで、ようやくタイヤが元のグリップを取り戻し、ステアリングの反応が鋭くなる・・・・。
得意のスプーンカーブと130Rで、それぞれ一台ずつオーバーテイクした霞は、シケインからの立ち上がりに、思い切ってレッドゾーンの9500回転まで引っ張ってみる・・・・。
何の不安も無く回り切る霞のエンジンは、レブカウンターの針を振り切って行く・・。
やがて直線に入り、145km/hの最高速を難なくクリアして、その緩い下りのストレートを突き進む・・・・。
ピットウォールに身を乗り出して手を振っている人たちと目が合う・・・・。

<もし、ここに・・・・・・>
そう思い始めた時・・・、霞の瞳に、うっすらと透明な液体がにじみ出て来るのであった・・・。
<兄さん・・・!、そして先生・・・・!>

<先生の乗った飛行機は、もう飛び発ったかしら・・・?>
そう思った途端に、霞の腕は、気が抜けたように力を失い、弱々しいコーナリングになっていた。
S字も、逆バンクも、デグナーも、先程までのパワフルな走りは全く影を潜め、ゆっくりとトレースするだけの走りになっていた・・・。
その数周後、上空にヘリコプターが一機現われ、やがてスプーンコーナーの真ん中にあるヘリポートに着陸する・・・・。
薄めのドアを開き、そのローターの下、まだ風が舞っている地面に身軽に降り立った男がいた・・・。
スプーンカーブをトレースしながら、そのヘリの方へ目を遣った霞は、その男の姿をとらえると思わず声を上げた・・・!
「先生!・・・・」
裏のストレートを駆け抜けながら、まるで幻を見たようなその情景を、信じることが出来ずにいた・・・。
しかし一秒でも速く、その男の姿を確かめようとアクセルを開ける・・・。
やがて、再びヘアピンカーブを抜け、右へカーブして、そして問題のスプーンカーブへのアプローチが近付いて来ると、霞はアクセルから足を離す・・・・。
インベタで、ヘリポートの周りのコーナーを廻りながら、再びその男の姿を探す。

やがてカーブが終りに差し掛かる所で、ヘリコプターの陰に立っている男の姿を確認すると、ゆっくりとブレーキを踏む・・・・。
綺麗に日焼けした顔と白い歯、そして笑顔・・・・。
右手を大きく挙げて近付いて来る男は、まさしく霞が今しがた、涙した張本人!沢木であった・・・・。
マシンをカーブの内側のセーフティゾーンに止めると急いでシートベルトを外し、その男の元へ走り出す・・・・・
深紅のレーシングスーツに身を包み、ヘルメットを被ったままの霞を、沢木は大きく抱き上げ、まるで子供をあやすように振り回す・・・・・
「先生!、本当に先生なんですね・・・・!」
「ああ!、フライトが、三時間程延びたものだからヘリをチャーターして霞の走りを観に来たんだ!・・・・」
「嬉しい!・・、先生はいつも魔法を使うんだから・・・・・・」
スプーンカーブを通過して行くクラブメンバーの車たちが、それぞれにクラクションを鳴らして冷やかして行く・・・・。
「さあ!、一緒に走ろう・・・・」
「ええ!・・・」
沢木を助手席に乗せた霞は、その世界に名だたる、鈴鹿の国際サーキットのフルコースを、三周ほど全開で走り終えると、再びスプーンコーナーの中のヘリポートにマシンを止めた。
長い抱擁を終えた沢木は、ゆっくりとした足取りでヘリコプターに乗り込む・・・。
上空5m程の高さで、ホバリングをしているヘリを従えて、霞のマシンは再び走り始めた。
最終コーナーまで、霞のマシンの後方を飛んでいたヘリは、メインストレートで霞の真上を追い越し、そしてそのまま第一コーナーの上空高く飛び去って行った・・・・。



Have a nice Trip you can!・・・・・

Everything must change,
Nothing stay the same.・・・・・


 

あとがきへ