第五章 研究会

その日のうちに、F−1放映推進委員会のメンバーを集めて、緊急ミーティングを行なう。

「・・・・・という訳で、いよいよ夢のサーキットが実現出来るかも知れない・・・という所までコマが揃いましたので、皆様にご報告いたします!・・・・」
「やったね!霞先生・・・・」
「本当に本当なの・・・・それ?」
最初は信じられなかった皆の顔が、やがて笑顔に変わり、まるでおもちゃを買って貰った時の子供のようにはしゃぎ始めるのであった。
やがてひと騒ぎが終ると・・・・
「ところで・・・・、コマは揃ったんですが、このプランを現実のものとするまでの計画を考えたいと思います・・・・」
「そうだ!、まだまだ問題はたくさんあるぞ・・・。」
「それでは先ず、これまでの条件をまとめてみましょう・・・・。」
「1,候補地としては、東台沢地区が最高の地形である・・・事。」
「2,土地は、秋田市と部落の共有地である・・・・事。」
「3,建設、運営などの細かい点はホンダが協力してくれる・・・事。」
「4,秋田市は、自治体として、土地の提供や開発の認可の件などで協力・・・。」
「5,株式会社共栄が、資金調達その他の事業面での協力を約束・・・。」

「・・・・と、まあ、こんな所でしょうかね・・・!」
博士が話し始める・・・・
「条件はこれで良いとして、今度はこれから出て来そうな問題点を出してみよう・・。」
「そうだなー、まず何と言っても困るのが地元住民の反対だろうな・・・。」
「そうだ、添川地区の住民が反対したら元も子もないから・・・・。」
「じゃあ今度は反対の理由を出してみたら・・・?」
「騒音の問題!、・・・これは全く無いとは言えないだろうな・・・。」
「それと道路渋滞!・・・」
「たくさんの人が集まると街が汚れる・・・・」

「それじゃ、次は地元が喜ぶ事は?・・・・」
「道路が整備される!」
「いろんな仕事が増えるから、就職口が出来る・・・。」
「若い連中が喜ぶ・・・・。」
「こんな所かな?・・・・」

新聞記者の白石が話し始める・・・・
「たぶん今の話からすると、地元の町内の人たちが反対さえしなければ、この話はまとまると思うんです・・・。 だけど、何処の世界にも反対する人・・というのはいるもんですから、まずその町内会対策を考えたほうが早いと思います。」
「うん!、僕も白石君の意見に同感だ・・・。 となると何かその対策も考えてるんだろ・・・白石君の事だから・・・。」
「ヘヘヘ・・・、そう来るだろうと思ってました!・・・・。 みんな、チョッと耳を貸
して・・・・・」
白石が建てた作戦とはこうであった・・・・
まず、市内の全く営利の絡まないメンバーで、サーキット設立の為の研究会を作る事、そして、そのメンバーに、今僕達がやった事と同じような協議を行なって貰い、問題点を洗い出す事・・・。
それらを十分検討した上で、サーキット建設を進めるべきか、止めるべきかを決める。
そこでうまくOKとなれば、その研究会の名で地元住民の説得と、秋田市に対して正式に、このプランを提案する・・・。

もしも、町内会内部での意見がまとまらないうちは、この話は一切進めてはならない!という立場で望む事・・・。
町内会が理解を示してくれれば、このプランは完璧になる筈・・・・・

「・・・・・とまあこんな所かな?・・・・」
「サッスガー・・!、 インテリ新聞記者・・・・・!」

「そうか、それならば東京の企業とか、自治体なんかとは違い、住民の理解を得やすいと云うメリットがあるぜ・・・・。これは良い!・・・」
「よし!、今の白石作戦でこのプランを進める事にしよう・・・。」
「となると、この研究会のメンバーには、うちのグループからも少し送り込まないといけないな・・・。」
「うん!、利害関係の無い所で、ドクターにお願いして霞さんをバックアップして貰うのが良いんじゃ無いかな・・・。」
「それが良い!、うちは整備工場だからまずいし、白石君も他のマスコミの連中にひがまれるとやりにくいから・・・。」
「よし!、では私と霞さん、そして寺田助役でこの研究会をリードする事にしよう・・!いいね・・・!」
ドクター白井が元気にまとめる。
「よーし!、 いよいよわれらの夢のサーキットプランを実行に移す時が来た・・・!、皆の者!、しっかり頼むぞー・・・!」
元気な声で、その部屋が盛り上がる。

そして、みんなの目は、横井が作ってくれた夢のサーキットのパースの上に熱い視線を送り始める・・・。

秋田市内の若手経済人、文化人、それに霞たちを加えた15名のメンバーで研究会が発足したのは三月の始めであった。
寺田助役と白井がこの会の顧問を務め、まとめ役の事務局として霞が指名された。
三月から八月までの6か月間、毎月市内のホテルで行なわれたその研究会には、ホンダ技研モーターレクリェーション推進本部の横井と、株式会社共栄の斉藤が、オブザーバーとして二度ほど参加し、説明を加えていった。

この年、自然吸気、俗に言うN・Aエンジン仕様に統一されたF−1グランプリは、あいも変わらずにマクラーレン・ホンダの赤と白のマシンが、圧倒的な強さで戦いを進めていた。
しかし、前年度ドライバーズチャンピオンに輝いたアイルトン・セナと、歴代最多勝利の実績を持つアラン・プロストとの間には、まさに<両雄並び立たず>の諺どおり、冷たい風が吹き始めたシーズンでもあった・・・・。

三年目を迎えた日本人ドライバー中嶋悟は、今までに無く積極的な攻めの走りを見せてはいるものの、今一歩の所で入賞出来ない日が続いていたのであった。
 
また、この年からF−1フル出場の二人目の日本人ドライバー鈴木亜久里は、予備予選の厚い壁を打ち破ることが出来ず、唇を噛む毎日が続き、日本のファンの期待に応えられずにいた。

<秋田サーキットプロジェクト研究会>略称A・C・Pと命名されたその研究会は、白石が建てた作戦通り、数カ月の間にメンバーの中での理解も深まり、是非にでも地元の人々を説得してこのプランを実現させよう・・・、という事なった。

夏の太陽がギラギラとアスファルトを焼き始めた七月も終りの頃・・・・・
「霞さん!、一応私たちA・C・Pとしてのまとまった見解を出して、それを地元町内会と秋田市に提出する事になるんですが、取りあえずその叩き台になるレポートを作って貰えませんか・・・?」
「分かりました、やってみます・・・」
七月の研究会の席で、そう約束した霞は、三月からの会議の記録を基に、B4版10ページのレポートを作り上げた。
その中には、A・C・P研究会の趣旨、プランのあらまし、メリットとデメリット、地元の住民に対する提示事項、そしてまとめの言葉として総括<サーキットが、地元秋田市に与える影響は大きく、多少の問題点はあるにしろ、是非とも実現する事が望ましいと判断・・・>、と大きく書かれていた。

最後に、関係する地元の住民の方々と、秋田市当局に積極的な理解と協力を求める旨の言葉で締め括られていた。

八月始めの研究会で、霞の書いたレポートが、メンバーの手元に配られると・・・
「うん!、良い、実に良く出来ていると思います・・・。」
「よし!、このレポートを我々ACP研究会のレポートとして、地元町内会と秋田市と県の関係部所に提出しましょう・・・!。」
全員一致で承認を受けた霞のレポートは、翌日,地元添川に住む研究会メンバーの及川と霞が、町内会長の自宅に届ける事になった。

「御免下さい・・・・」
「はい!・・・」
「会長さん!、昨日電話スた件だども、きょうその書類っコ持って来たスがら、目ェとおスておいで貰えねすべが・・・?」
近所付き合いのある及川は、人懐っこい笑顔で、町内会長三島金治老人に話し始めた。
「・・・・・というわげだども、詳スごとはこの秋山さんの説明を聞いで・・・・」
ひととおりの状況を、霞自身の口から説明を受けた会長は・・・・
「何とも大きた話だすナー、オラの一存ではいいも悪いもねぇだがら、あどでもう一回みんなさも説明してもらわねーど・・・」
三日後の夕方、公民館に町内会幹部が集まって、再び説明をする事に決まる。
当日の昼過ぎ、及川から電話が入る・・・

「霞さん、今夜の説明会ですけれど・・・、みんな畑仕事を終えてから集まる訳なんで、出来ればビールでも用意して置いたほうが話を進めやすいと思って・・・」
「あっ、そうですね・・・!、そのほうがいいと思います。」
「じゃあ、私が近所の酒屋からビールを人数分届けさせて置きますから・・・」
「そうして頂けると助かります。支払いは研究会の会費の残りがあるので、その中から払いますからお願いします・・・。」

夕方、まだ西の空が明るく広がっているうちから、その説明会は始まった。
「・・・すると、そのサーキットというのは賭け事はねぇんだスか?・・・」
「はい、競馬や競輪のような賭博性のある施設ではありませんので、全くのスポーツ施設だと考えて良いかと思います。」
「それだけの施設が出来ると、道路は良くなるだろうね・・・」
「持ち論です!、ただし、これはレポートにも掲げてありますが、何か大きなレースのある時は、かなりの交通渋滞が起こる事は避けられないようです。」
「そんた心配だばいらねぇ!・・・、今まで渋滞するほど車が来た事がねぇ場所だから、贅沢は言えねぇよな・・・ハハハハハ・・」
「あとは、騒音の問題だけは想像つかねぇスなー。」
「私たちも、その問題だけが一番気掛かりだったのですが、専門家に言わせると、ここの山並みが防音壁になるので、思ったほどひどくは無い・・・との事でした。しかし全く聞こえない訳ではないので、充分考慮する必要が有ると思います・・・。」

「ただ・・・、この音の件だけは、好き嫌いのほうが大きく作用すると思うのです。たとえば、夏の竿灯祭の太鼓の音は、かなり遠くでも聞こえる訳ですが、お祭に太鼓の音が無ければさみしい限りです。でも、もし病人が傍にいたら、たとえお祭の太鼓の音でも耳障りな迷惑な音になってしまいます。 
レーシングカーの排気音も、それと同じだと考えれば、我慢出来る範囲の音であれば、結果はヨシ!・・・、と判断して頂けると思いたいのですが・・・・。」

「まあ・・・、今までは隣りのじい様の屁の音だって聞こえるくらい静かな所だから、少
しは賑やかになるのも悪くねぇかもしんねえな・・・・。」
「ハハハハハ・・・・」
「んだども、もしおら方の寺で葬式の最中にババババーッと始まったら困るべぇーな。」
「何と、それだば大変だなー・・・」
「やっぱり、葬式を出さねぇようにしねば何ねぇな・・・・。」
「んだんだ・・・・、ハハハハ!」

二時間程の説明会を終えた段階で、一同の気持ちは、ほぼ間違いなく建設に協力してみよう・・・・と、そして部落の大きなチャンス到来に、心なしか皆の顔色に元気な明るさがみなぎっていくのであった。
「それでは、お盆過ぎに一度、私どものメンバーと、町内会の幹部の皆様、そして東京からも関係者を呼びますので、その席で正式に意思を伝える・・・という事でいかがでしょうか?・・・」
「ヨシ、異議なーし。」
「お二人とも、頑張ってここに世界一のものを作って下さいよ!、期待してますよ。」
町内会長の熱い眼差しを受けながら、元気に公民館を後にする霞たちであった。

八月中に、地元住民の代表、寺田助役他研究会メンバー、そして株式会社共栄の斉藤とホンダ技研の横井を加えた顔触れが市内のホテルに集まった。

非公式にではあるが、AKITAサーキット建設の為の、合意と詳しいプランニングの打ち合わせであった・・・・。
「これでいよいよですねー・・・、霞さん、これからもっともっと忙しくなりますが、頼みますよ・・・」
「お任せ下さい!、寺田助役こそ、是非よろしくお願いします・・・・。」
「持ち論です!、何と言っても世界一ですからねー・・・・」
近くにいた横井が口をはさむ・・・
「たとえ世界一のサーキットが出来ても、F−1グランプリだけは鈴鹿サーキット以外には渡しませんから、それだけは我慢して下さい・・・・ね!」
「分かっていますとも・・、でも、もし何かの事情で鈴鹿が駄目になった時は、最優先でAKITAに持って来るつもりでいますから、その時は横井さん、よろしくお願いします・・・・。」
「まあ・・、それはそうですが、あまりお願いされたく無いものです・・・・ハハハハ」
「助役!、いつか横井さんが悔しがるような事になると良いですね・・・。」
「そうです!、その為には絶対鈴鹿に負けないものを造らなくては・・・・。」
「どうぞお手柔らかに・・・・ハハハハ!」
一同大笑いの中でその日のパーティは終った・・・・

その翌日、霞とドクター白井は東章産業の事務所に顔を出した。
「・・・・という訳で、いよいよ始まる事になったのですよ・・・我々の夢のサーキットプランが・・・。」
「そいつはすげーや!、ドクター!、やりましたね・・・。」
「うん、あとで白石君たちにも報告をしなけりゃいけないんだが、学会が控えてるんでとりあえず博士のほうから伝えて置いてくれんかね・・・。」
「分かりました、みんな喜びますよ・・・!」
「それでは、今回の立て役者霞先生から今後の計画は聞いてくれたまえ・・・。」

「じゃあ・・・!」
慌ただしく去っていったドクター白井であった。
「そうか・・・!、レースか・・・!・・・・」
「ところで霞さん、この間の件だけど、タイヤもショックも手配しましたからね・・。」
「本当ですか・・・?」
毎年参加しているツインカムクラブのミーティングの為に、今年はモカ・ブラウンのS600を鈴鹿仕様にチューンUPしてみようかと博士に相談していたのである。
「タイヤは、ADVANのサーキット走行専用がうまく手に入りましたし、ショックも、コニの新品の在庫を押えて置きました。コニを少し固めにセットしておけばタイヤのグリップが良いので抑えが効きますから、ちょっとうるさいマシンになりそうですよ。」
「エンジンも、ちょうど慣らしが終ったところだし、9500回転までギンギンに回してもOKですよ!。 後は、気温が低ければ7番、もし天気が良かったら8番のプラグに換えてくれれば、たぶん他の600にオーバーテイクされる事は無いでしょう・・・。」
「フフフ・・・!、楽しみです・・・。」
「ただし!、途中の一般道では、絶対無理をしないで下さいよ!、特に雨が降ったらこのタイヤはひとたまりも無いですからね・・・・。」
「了解!」
「それじゃあ出発の二日前に車を入れて下さい・・・・」

三日後、霞は青山のホンダ本社ビルの二階の応接室にいた。
寺田助役の指示で、細かい打ち合わせの為に、共栄の斉藤氏と共にホンダを訪れたのであった。

「こちらがこの度のベーシックプランを仕上げた赤木君です。」
「始めまして、赤木です。」
「さっそくですが、私どもがこれからこのサーキットをまとめあげる上での注意点を、専門家の赤木さんに是非伺って置きたいのですが・・・。」
と、斉藤が口を開いた・・・・
「分かりました、横井からも話は出ていたと思いますが、この土地は非常に恵まれた素材だったので、結構煮詰った点まで考慮したのですが、絶対に中途半端な事はして欲しく無いと思います。」
「もちろんです!」
「そうなりますと、まず最低限、国際公認のコース条件をクリアしたいと思います。」
「ええ!」
「最初に、最も肝心なコース造りですが、このアスファルト舗装を仕上げられるのは、全国でせいぜい三社、日本建道、大東京土木、大島建設くらいのものだと思います。 と言いますのは、ロードクリアランス2〜3cm程度のレーシングマシンが、時速300kmでも安定した走行が出来るだけのフラットな舗装は、大変に高度な技術と高精度の建設機材を要するからです。」
「現に、仙台の北日本サーキットは、その舗装のレベルが低くて公認が取れなかったのです。ああなってしまうとやり直すのが又大変ですから、とにかく舗装面に関してはサーキットの生命線ですので、くれぐれもレベルを落とさないように考えていただきます。」
「なるほど・・・」
「コース全長は約4kmとしました。これは一周約二分を要する程度の長さです。途中シケインやヘアピンカーブで速度を落とさせるように工夫がしてありますが、かなりのテクニカルコースになる筈です。」
「コース全体の内側に、緊急車両用の走行路を設けてありますから、万一の時でも万全の救急体制を敷くことが出来ます。」
「観客席も、この場所なら好きなだけ斜面に張り付けることが出来るのですが、せっかくの森を潰しては勿体ないので、取りあえず最小限にしてあります。 メインスタンドはご覧のように東南を向いて観戦する事になりますが、この方角が最も快適にレースを観戦出来るのです。 特に真夏の耐久レースなどは、観客の方も炎天下での耐久戦ですし、西陽に影響されずに楽しめる訳です。」

「そして、これがこのコースの最も大きな特長なのですが、コース全体の80%をスタンドから肉眼もしくはスコープで見ることが出来るようにしてあります。 こんなコースは世界中探しても見当たりません。 したがってコースの中央部分には何も造りたくありません、もちろんピットの屋根も極力低く押えておくべきだと考えます。」

「なるほど、良く分かりました。」
「あとは、コース幅や、セーフティゾーン、サンドトラップ等は、現在の鈴鹿のものと同程度と考えて頂ければ良いでしょう・・・。」
「照明設備は?・・・」
「もしも予算が許す様であれば、コース全体をナイター走行可能にすれば最高です!。」
「コントロールタワーは?・・・」
「その件は、あとで横井の方からあると思いますが、今現在たとえば計時等は<手計測>と<コンピューター計測>の二系統を使っておりますが、このコースが完成する頃にはまた違ったもっと便利な計時システムがあるかも知れません。 取りあえずこの見積りでは今の鈴鹿に準ずる内容で仕上げておきました・・・。」

横井が続いて話し始める・・・・
「じつは、その件なのですが・・・・」
「サーキットには今この赤木が説明した設備のハードの部分と、もう一つ重要な事なのですが、オフィシャルとしての動き・・・。つまり、今出た計時のシステムや、コースマーシャルの熟練・・・、もちろん公式の競技委員といった人間の教育の問題、そして医療設備や医師の確保、観客の誘導、果てはトイレの準備等およそ十万人の人間が集まる設備となると、気の遠くなる程の事柄が山積みされていますので、これは一つ一つ今後ご指導させていただきます・・・。」
「そこで真っ先に考えておいて欲しい事ですが、これからコースが完成するまでの間に、公認の競技委員を教育しなくてはなりません。 たとえば、私どもの工場内に先日完成した熊本サーキットでは、その役員とマーシャルが不足している為に、イベントの度に鈴鹿の補助委員を、そちらに回してやりくりしている訳ですが、これだけは早いに越した事は無い訳でして、さっそく人選をしておいて貰い、都合がつき次第、鈴鹿に派遣された方が良いと思います。」
「分かりました、さっそく地元のメンバーと相談して、早急に検討いたします。」


大体の打ち合わせが済むと、全員で八階の応接を兼ねたレストランに席を移す・・・。
さほど遠くない所に新宿の高層ビル群が見えるその部屋では、数組のグループが、食事を摂りながら話に花を咲かせていた。
・・・と、その中から若い一人の男が歩み寄って声を掛ける・・・
「横井さん!、お久し振りです・・・・」
「何だ、ユイ君か、・・・いつ戻ったの・・・?」
「昨日です、ビザの更新を兼ねて、おやじの顔でも見てやろうかと思いまして・・・。」
「そうか・・・、相変らず元気そうだね・・・!、シリーズ戦は結構いい線いっているみたいじゃない・・・、みんなで楽しみにしているんだから、絶対に取ってよ・・・!」

「参ったなあ・・・、あんまり期待されると駄目な時に日本に戻れなくなっちゃうから・・・、ハハハハハ・・・」
「あっ、そうだ、皆さんにもご紹介しておきます。 こちら、春日唯君。 彼は今、ロンドンのレーシングスクールで、F−1ドライバーを目指して特訓中のレーサーです。日本の若手の中でも抜群の実力を見せていた彼を、我が社が、世界に通用するレーサー、そう、中嶋の次の世代を担うレーサーになって貰う為にバックアップしているのです。いずれ秋田のサーキットが出来る頃には、彼もF−1ドライバーとして活躍している筈ですよ・・・。」
「春日唯です、どうぞよろしく・・・。」
「ところで横井さん、秋田のサーキットって何の事ですか・・・?」
「紹介しよう、こちら秋山霞さん、そして斉藤さん。 実はこの方たちが今、秋田に世界一のサーキットを造ろうとしていらっしゃるんだ。 そこで、うちの社としても出来る限りの協力をして、西の鈴鹿、東の秋田と言われる位のものを造って貰おうと、打ち合わせをしている所なんだ・・・。」
「それは楽しみです!、是非良いコースを造って下さい・・・!。期待しています。」
「それではこれで・・・・」
礼儀正しい若者はいつ見ても気持ちの良いものであった。 どことなく誰かに似ているような気がした霞だったが、それ以上気にも止めずにテーブルに着いた・・・。


食事が済んで、青山のビルを出た霞は、その場で斉藤とも別れて乃木坂のスタジオに向かって歩き出した。
「いよいよ私たちのサーキットが実現するんだわ・・・・フフフ・・!」
歩きながらウキウキして笑いが込み上げて来る霞であった。
すれ違うタクシーの運転手が、そんな霞を見て首をひねって行く・・・・
乃木坂のスタジオに着いた霞は、すぐに沢木に電話を入れる。
「もしもし、先生・・・、たった今、斉藤部長とホンダに行ってきました。」
「大体の打ち合わせが済みましたので、あとは本格的な煮詰めの作業に入る事になりました・・・。」
「それは良かった・・・!、本当に良くやりましたね、霞さん・・。」
「先生のおかげです、本当に有り難うございました。」
「お役に立てて光栄です・・!、霞お嬢様・・・・。」
「またー、先生ったら、すぐそうやってからかうんですもの・・・。」
「あっ、そうだ今晩空いてますか?、じつは今、息子が帰って来ているんですよ、一緒に食事でもいかがですか?」
「せっかくの親子水入らずの時にお邪魔しては・・・・」
「とんでもない!、僕とあいつとは水入らずも何もないんですから、是非付き合って下さい・・・。六時に待っています!」

沢木に一方的に押し付けられた霞だが、何となく楽しみな、沢木の息子との出会いであった・・・
「・・・あのベッドの持ち主か・・・・」
沢木の自宅に酔って転がり込んだ時に、朝を迎えた黒いパイプのベッド・・・
若い男性の所有するベッドに、無断で転がり込んだ霞は、少しばかり女としての後ろめたさを感じながらも、心惹かれる男沢木の息子となれば、いやがうえにも興味は募る一方であった・・・・。」

約束の時間の5分前、霞は表参道にある沢木の研究所のドアを開けた・・・
「いらっしゃい、待ってました・・・。」
「紹介します、これ、息子の唯です・・・!」
「始めまして・・・、唯です。 あっ、あなたは・・・!」
「あっ、先程は・・・・」
そこに立っていた若者は、つい今しがたホンダ技研の本社で横井から紹介を受けたばかりのレーサー春日唯であった。
「なっ、何だ?、どうして知っているんだ?、初対面のはずだろう・・・。」
沢木がびっくりしてうろたえる・・・・

「なんだ、おやじが話していた素敵な彼女・・・、て、あなたの事だったのですか・・。たしか秋山さんでしたよね!。」
「ええ、そうとは知りませんでした・・・、先程は失礼しました・・・。」
「おやじ!、この方とはさっきホンダの本社で紹介されたばかりだったんた。」
「何だ、そうだったのか・・・・」
「沢木先生ったら、ご子息がレーサーだったなんて、一言もおっしゃらないんですもの、・・・本当にびっくりしました・・・。」
「すまんすまん、じつはこいつ父親譲りの車好きで、それが段々エスカレートしてとうとうレーサーになってしまったんですよ・・・。今、ロンドンのレーシングスクールに留学中でね・・・、全く困った奴なんですよ・・・。」
「言い出したら聞かないって言うんだろ・・・!、それは父親譲りだから言いっこ無しだぜ・・・。」
「改めて自己紹介をします。春日唯です。春日という母方の姓を名乗っていますが、生活はおやじと半分、おふくろと半分、平等にお付き合いをしているちゃっかり者です。」
「そうでしたの、私、秋山霞です、いつも沢木先生には良くして頂いております・・。」
「十年以上もチョンガー生活をしていたおやじが、ようやく恋しい女性が現われたって言って、嬉しそうにロンドンまで電話を掛けてよこしたんですよ!・・・。本当によろしくお願いします。」

「でも、どちらかと言えばおやじよりも僕の方があなたとは似合いのカップルになるんじゃないのかな・・・?」
「おいおい!、唯!、余計な事は言わんでくれよ・・・!。 まったく、油断も隙もならん奴だ・・・。」
「まあ、お二人とも、今にも兄弟喧嘩を始めそうな感じですね・・・。」
「ハハハハ・・・、まったくお恥ずかしい・・・・。さてと、今夜の食事は何にしましょ
うかね、唯さん?」
「そうですね・・・、あんまり気取ったところは嫌だし・・・・」
「よし!、飛び切り上等のラーメン屋に連れて行ってやろうか・・・?、間違ってもロンドンになんか無いような店に・・・・。」
「あっ、いいねー・・・!、ラーメンか・・・」
「霞さんも、良いですかね・・?、そんなもので・・・」
「ええ、もちろんです・・・」
「よし!、じゃあ決まりだ!、出発・・・・。」

沢木親子と霞の三人組は、<ラ・ギュウ>の時と同じ様に、防衛庁の前でタクシーを降りると、細い路地を横に入る。その路地の左手にある、決して上等とは言えない、まるで屋台のような小さなラーメン屋の暖簾をくぐった。

<大助>と書かれたトタンの看板も、そして店内も、ここが六本木のど真ん中とは思えない程の店であった。
「この店です・・・、あんまり汚いんでびっくりしない様に・・・」
「うわっ、いいねー、オヤジこんな店知ってたの・・・?」
「なー、こういうのが日本人の、しかも庶民の食の文化だと思うんだ・・・。」
「ホント・・・、ちょっと独りで入るのは、ためらってしまいそうですけど、でも懐かしいわ・・・私大好きです!。」
「うん!、わかって貰えると有難い、とりあえず私が注文しよう・・・。ラーメン三つに餃子ときゅうり漬けを付けて・・・!」
「あいよ!」
ちょっと癖のあるそのラーメンを、一気にたいらげてスープを飲み干した三人は、うっすらと汗ばんだ額を手で拭うと・・・・・
「なっ!、うまいだろー・・・!」
「なっとく・・・!」
「ホント・・・!」
「店構えは恐ろしく粗末だけど、味は抜群!、値段はチープ!・・・、これがラーメン通の喰い方・・・・、と云うところだろうね。」
「結構なお味でした・・・!、ご馳走さまー!。」

<大助>を出た三人は、今度は歩いて50m程のところにあるショットバーに腰を落ち着けた。
水割りのグラスを傾けながら話に花を咲かせる・・・。
「ロンドンでの生活って如何ですか・・・?」
「ロンドンと言ったって、ほとんど毎日サーキットに缶詰ですから、日本にいる時とたいして変わりません。でも日本と違うのは、モータースポーツが、はるかに向こうの方がステイタスが高いと云う感じがします。日本ではまだプロ野球や、プロゴルフの方がメジャーですからね・・・。」
「そうでしょうね・・・、でもここ1〜2年で、日本人も随分モータースポーツに興味を持ち始めた様ですよ・・・・・・。」
「・・・・らしいですね、さっきホンダの人たちにも同じ事を言われました。だから早く一流になって戻って来い・・・・と。」
「楽しみです・・・・!、是非、私たちのサーキットをホームコースとして活躍して下さい・・・・。」
「そうか・・・、霞さんたちにいずれ唯がお世話になる訳だ・・・!。」
「私も父親として、お願いしておきます・・・・・・。 こいつ、親の欲目かも知れませんが、結構いい走りをするんですよ・・・・・・!。 きっと良いレーサーになる筈ですから・・・・。」

「霞さん・・・!、僕からもおやじの事、よろしくお願いします・・・。」
「何だかんだ言ってても、結構さみしがりやなんです。 さみしくなるといつもKDDでしょ!、 夜中に叩き起こされるのも大変なんですよ・・・。世話のやける父親ですが、本当によろしく・・・・・!」
「こちらこそ、これからもどうぞよろしくお願いします・・・!」
「それじゃあ、三人の幸せの為に・・・カンパーイ・・・!」

その晩、霞と別れた沢木親子は、肩を並べて六本木の街を歩き出した。
「どうだ、レースの方は・・・?」
「今乗っているマーロンのマシンは、結構高いポテンシャルを秘めているんですが、エンジンのチューンが今一つなんです。」
「でも来年はF−3000にステップアップして、ホンダのエンジンで走ることが決まりましたから、ちょっと面白い仕事が出来そうですよ・・・。」
「今日も言われて来たんですが、93年頃からは全面的にホンダのバックアップでF−1に乗る事になりそうだから、そのつもりで腕を磨いておく様に・・・って!。」
「それまでは、如何に外人チームの中でうまくやっていけるかを勉強しておく様に・・・・と言ってくれてるんです。」

つづく・・・

  

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