No.28

2001/09/20

インタビュー記事

2001年「月刊美容界」に山本のインタビュー記事が掲載されたのでご紹介します。

◎目的地に到着した時の心境はいかがでしたか。

ほんとに来ちゃったんだーー!
まるまる一ヶ月間走り続けて、ついに大西洋(正確にはバルト海?)を見ることができた事に感激・・・でしたね。

確かにウラジオストクの港の近くから出発して大西洋側まで走破した実感はいまだにジーンと来るものがあります。

中間ぐらいまで進んだ頃に、ゴールの時は皆で乾杯しよう・・・!そして皆で抱き合って達成した喜びに浸ろう・・・!って思い描いてたんです。きっと僕は泣いちゃうかも・・・なんてね。笑

ところがやっぱり最後までドタバタで、ゴールの瞬間は雷雨に打たれて必死に雨対策に追われてたので、思い描いていた感動のゴールシーンがどこかに飛んじゃいました。


 ◎今回の旅ではどういった面で、一番苦労なされましたか。

まず言葉の問題。

これはメンバー間の連絡も英語と日本語とロシア語が飛び交っている事。

日本人、ロシア人、オーストラリア人という混合チームなので当然ですが、そのメンバーが情報を共有するために苦労しました。

ちなみに私は最後までロシア語はスパシーバとハラショしか話せませんでした。笑

言葉だけが違うならまだしも、考え方や習慣、そして性格や癖までもが違うメンバーが30日以上寝起きを共にして、しかも極限状態まで疲れているのですから、今思えばよく最後まで持ったなー・・・。と思います。

今回の主要メンバーは50歳になった私が最年少で、あとはほとんど60歳代であるにもかかわらず、体力的にタフで我慢強いのと、精神的にも包容力のある人たちが揃っていたと思います。

結局最終的にはロシアを横断するという目的に向かって、闇雲に走り続けたと言う感じがしますが、多人種の集合体をまとめて目的を達成することの難しさを身をもって体験したような気がします。

◎ひとつひとつが忘れらない出来事だったと思いますが、敢えてあげるならば、最も印象に残ったのはどんなことですか。

ノボシビルスクを出発した時の事・・・

例によってレーニン広場(何処の町にも同じ名前の広場がある)で出発の準備を進めているところに、母親と一緒にJonasunを見学に来た男の子が夢中になって作業を見つめていた。

あんまり熱心だったのでJonasunのコックピットに座らせてあげたら、ほんとに喜んでくれて・・・、満面の笑みって云うのが伝わってくるんです。

一生懸命覚えたであろう英語でお礼を言って最後まで我々を見送ってくれました。

何処の町でも、子供達の反応は速いのです。

間違いなく彼らの中から未来の科学者が生まれるだろうと確信しました。

兵器を作るような科学者にだけはなって欲しくありませんけれどね・・・

なぜかって云うと、とてもショックをおぼえた事があったからです。

ハバロフスクからチタという町まで、シベリア横断鉄道でトラックごとJonasunを運んだのです。(いまだに途中の道がないんですよ・・・)

貨車に載せた時なのですが、となりの車両には大砲がズラリと積載されていて、どこかの戦場に移動するための貨車だったのです。

平和のシンボルを謳い文句にしている我がJonasunが、人殺しの道具と一緒に貨車に載っているシーンは、とても刺激的でした。

・・・で、平和を作る科学者に育って欲しい・・・って思ったわけです。

まだまだリアルタイムで生活の中に戦争が同居している国なんですよね・・・。

◎イルクーツクでは、ホテルの美容室で「レザルテ」のレクチャーをなさっていましたが、その他で美容的な交流はあったのでしょうか。

今回は日程が遅れていてイルクーツクだけが唯一美容師との交流の場でした。

たまたま泊まった宿舎に美容室があって、しかも夜9時過ぎだというのに仕事をしている若い技術者がいたんです。

サロンを見学させてもらったお礼にレザルテをプレゼントしたらとても喜んでくれて、使い方を教えて欲しい・・・となったわけです。

わずか4〜50分のレクチャーで、なんなくテクニックをものにしたところを見れば、なかなか筋の良い生徒だったかな・・・(なんてったってマンツーマンの講習ですから・・笑)



 ◎ロシア女性のヘアスタイルを見て、日本との共通点、相違点などお感じになった特徴がございましたらお聞かせください。

想像していた以上にファッションの情報は豊富で、共産圏ウンヌンは感じませんでしたよ。

地方の小さな町のサロンにもシュワルツコフやロレアルのポスターを見かけたし、町を歩いている女性のヘアスタイルも特別違和感を感じなかったので、けっこうお洒落をしているのだと思いました。

何よりも強く感じたのは、若い女性が綺麗です。

もちろん大きな都市は当然ですが、小さな村でも、おしなべて若い女性は綺麗でプロポーションが良かったです。

いずれにしてもヘアスタイルの傾向はヨーロッパとほとんど変わらないレベルに近づいていると感じます。

とくにサンクトペテルブルグあたりはほとんどヨーロッパそのものですし、もともとがお洒落を大切にしてきた歴史のある国なのですね。

 美容の仕事について

◎サロンワークにおいて現在力を注いでいるのは、どの部分ですか。

ズバリ!、改革です。

最近は流行り言葉のようになってしまいましたが、技術、意識、システムの改革がこれからの私の課題です。

今まで通りでやっていける時代は終わったと見るべきでしょう。

もともと人まねが嫌いなので、独自の技術にこだわってきましたから、その枠をもっと広げるだけなのですが、もっと変えていかなければ美容室がお客様の意識に遅れをとることにもなりかねません。

具体的には教育方針であったり、技術の見直しであったり、給与システムや労働分配、果ては美容室という業種そのものであるかもしれません。

変わる前に変えていく勇気をもちたいですよね・・・

 ◎「プレアデスの宇宙船」誕生の経緯をお聞かせください。

18年前になりますが、結婚して赤ちゃんが産まれたとたんに美容室にいけなくなったというお客様の声が多くなり、それならうちのお店のサービス部門として、赤ちゃんを連れて安心して来店できるお店を作ろうと決心しました。

どうせ作るなら、とことんこだわって楽しんじゃおう・・・というわけです。

そこで、このお店の存在そのものが子供達の夢を膨らませることができないか?と考えました。

童話を書いて、その主人公が地球の良い子達にプレゼントしたピアノの形をした宇宙船・・・。それがコンセプトでした。

場所は当時は何もなかった小高い山のてっぺんの森の中・・・

いまだにカモシカや雉が遊びにくるような場所ですが・・・。

それにしてもエアコンが寿命になった以外はまったく手を入れずにいまだに健在なのはお客様とスタッフに感謝ですね。
http://jonasun.com/~hiroweb/pleiades1.html


 ◎「レザルテ」の性能についてご説明をいただけますでしょうか。また現在、開発中だというニューバージョンではどのあたりを改良する予定ですか。

15年間熟成を重ねたといえば格好良すぎますが・・・、とにかく本当に良く切れるレザーに仕上がりました。

替刃を使うのですが、感触は本レザーに近いものがあります。(もっとも理容師以外では分からないかもしれませんが・・・)

・技術者の指を傷つけない。
・切れ味が良い事。(毛髪の切断面が傷つかない)
・プロの道具としてふさわしい完成度。
・正確な仕事をするために手に馴染む道具である事。
などなど15年間で改良した点は数知れず・・・です。

ニューバージョンの特徴は材質を変更して、理想の重さにします。

前回の試作品はステンレス素材を使いましたが、予定よりも重くなってしまい、やむなくボディを細く削って軽量化しました。

今回は理想のホディ形状を保ちながら特殊な素材を採用する事で軽く仕上げる予定です。

ステンレスとアルミの中間ぐらいを狙ったら、あの究極の金属といわれるチタンに行き着いてしまいました。

ところがこの素材は加工がとても難しく、開発現場が頭を抱えています。笑

世界中の一流の技術者が納得するようなものを開発するぞ・・・ってみんなを困らせているのですが、きっと実現すると思います。

自分達が長い間使い続けて、自信を持って勧められるものになっているのと、いろんな新しいテクニックを開発してそれを15年の時間というフィルターで選別、システムとして完成していると思います。

ほんの少しだけコツを教えればすぐに使いこなせます。(言葉の通じないロシア人の技術者でも、見よう見
まねでOKでしたから・・・笑)

まだ完成の時期はわかりませんが、動き出してから既に1年近く経っているのであと一息ってとこでしょうか・・・。
http://jonasun.com/~hiroweb/razarte-ok-13.html



 ◎現在の美容業界について、感じることは何かありますか。その中でご自身はどういった役割を担っていきたいとお考えですか。

私が美容界をどうこうできるなんて思ってもいませんが、少なくてもこれから育つであろう後輩達のために、魅力的な職業であって欲しいと思います。

その為には今の現場のトップにいるみんなが、もっともっと協力して知恵と汗を出さなければならないかもしれませんね。

私個人の気持ちとしては、欧米から学ぶばかりだった自分達の修行時代を思い出し、もうそろそろ独自の技術や感性を構築していく時代だと確信しています。

グローバルな視野を持ち続けてなおかつ世界中のヘアデザイナーが共感するよう
な仕事や活動をしていけたら・・・と思います。

自慢話になって恐縮ですが、10年前に始めたソーラーカーレースは今や世界最大の参加者を集める大会になり、この大会から育っていった技術者がメーカーの最前線の仕事をするまでになりました。

自分は天才エンジニアとして社会に貢献する事ができなくても、天才エンジニアを育てるきっかけ作りならできる・・・と言って始めた大会でした。

美容界も同じような事が言えるような気がします。

ただ稼げるだけの技術者や、感性が良くて斬新な仕事ができる技術者はこれからもたくさん出てくるはずです。

しかし世界中の人たちやヘアデザイナーに何らかのメッセージを伝えていけるような、そんな魅力のある技術者がたくさん育って欲しいと思います。

何がやれるかはこれからの課題ですが、ソーラーカーだけが私のフィールドではないことを証明しなければなりませんね・・・笑

目次ページへ戻る

メインページへ戻る