燃料電池車がメディアに取り上げられる事が多くなって来た。
5月の2日には燃料電池と燃料電池車に関するフォーラムが開催される。そして翌3日と4日には今年のエコノムーブだ。しかも今年からは燃料電池部門のレースが組まれている。
もちろん世界初のレースなのだ・・・!! (詳しい情報は・・・)
ソーラーカーを手掛けた経験から見て、最初にガソリンやエタノールを改質する装置を搭載して走る電気自動車(EV)だと言われた頃は、結局化石燃料をつかうのかー・・と、乗り気ではなかったのだが、これからは水素を直接搭載して行けそうだ・・となり、俄然面白くなって来た。
何故純水素に惹かれるかと云うと、水素は太陽光発電や風力発電で作れるからだ。
水素を作る為に循環型のクリーンエネルギーを使えば、少なくても子孫につけを廻さなくても良くなる。
従来の化石燃料は何十億年もの地球の営みが貯えたものだから現代の人類が使い切って良いはずはない。
・・と、ここに来て昨日東京電力の原発がすべて休止したというニュースが報じられた。
原発が最終の処理技術を持たないままに人類の生活の中に入り込んだ事がそもそも問題なのだ。誤解を招かない為に付け加えるが、吾輩は決して原発反対論者ではない。むしろこの技術は将来の人類に大きな恩恵をもたらすと信じている。しかし安全な処理技術が確立される迄は、経済効率を優先してやみくもに原発に頼る構造は危険過ぎると考えるのだ。
そのスタンスから燃料電池を見ると、どんどん推進する方にマル・・である。
技術的にもほぼ確立され始めたし、水素が危険だといったところでガソリンが危険でないと云う人がいないのと一緒で、安全はお金をかければ手に入るレベルだ。
燃料電池車が街に氾濫し、ボディに太陽電池パネルを搭載すれば、燃料代がタダ同然という事も夢ではない。
だって1年に1万キロ程度しか走らないドライバーの走行距離は27km/日だし、この程度のエネルギーならボディに搭載した太陽電池で充分まかなえるからだ。それ以上走行する車両は足りない分を水素がカバーする。
いずれにしてもソーラーカーが燃料電池を使って現実の物になる・・・。
石原都知事が小泉首相にディーゼルエンジンの事で噛み付く必要もなくなるのだ。吾輩がもっとも期待しているのは、エネルギー対策とくに石油に依存している体質が全く方向を転換するチャンスだからだ。
石油から軸足が移ったら、イラクの戦争だって起こらなかったかもしれないし、採掘権に絡んだ利権争いも要をなさなくなるからだ。
これからは風力や太陽光等クリーンなエネルギーをどんどん活用する時代になる。日本は地勢的に劣っていない。
4/9
ついにフセイン政権の崩壊が報じられた・・・
まだ多くのエリアで戦闘が繰り広げられているが、とりあえずは戦争が終結に向かっているようだ。
イラクの国民の為には平和に向かって動き出す事を単純に喜ぶべきかもしれない・・・。歴史に「もしあの時に・・」は通じない事を百も承知なのだが・・・、違った角度から今回の事態を展望するとこんな事が気に掛かるのだ。
イラク軍がもし本当に大量殺戮兵器を保有していたら・・・。勿論これが今回の戦争の大儀であったはずだ。
イラク軍は最後まで温存していた大量殺戮兵器を使わずに崩壊していった事になる。
それは、使えなかったのか?、使わなかったのか?・・・
いつか明らかになるだろう。
もしそんなものは始めから持っていなかったから使えなかったとしたら、アメリカが言うところの戦争の大儀が根底から崩れる事になる。
仮に、温存していた大量殺戮兵器を、国民に与える犠牲を考えて使わないままに崩れていったとすれば、これはこれでフセイン政権に対する評価が変わる事にもなり得る。フセイン像を倒すシーンが報道された。
一昨年、Russian Journey で訪れたロシアの多くの街にあったレーニン像とあまりにも良く似ている。およそ芸術性の感じられないその像ではあるが、製作した作者の気持ちはどんなだろうか、もしかすると作った本人も早く引き倒したかったのかもしれないが・・。今回報じられた多くの情報で、一国のリーダーが国民の信頼を集め、それを維持する事の難しさが随所に暴露された。もちろんこれはアメリカにも言える事で、世界の国々からの信頼を取り戻す為に多くの問題が残された事は確かなようだ。
そろそろ小泉首相の出番なのだが、果たして毅然とした行動に出れるのか・・?
4/7
祝・誕生
鉄腕 アトムさま
2003年4月7日
近未来のはずだったこの日が遂に来てしまいましたね・・・。
4/4
復活の日
随分前の角川映画に「復活の日」という題名の映画があった。
ジャニス・イアンだったと記憶しているが、曲と映像が、そしてキャスティングも話題となってヒットしたのを思い出した。
なぜこの映画を思い出したかと云うと、そう、重症急性呼吸器症候群(SARS) が気になっているのだ。
映画では某国の生物科学兵器として開発されたウイルスが事故で漏れた事から始まり、あっという間に世界中を壊滅状態にした。このウイルスが唯一低温に弱かった事で南極の基地にいた主人公とほんのわずかの人類だけが生き延びる・・・。そして彼等が再びアダムとイブとなって次の世代に望みを繋ぐ・・・というストーリーだった。SARSが生物科学兵器で、これがイラクやその他のテロ集団の仕業であったなら・・・。
そんな恐怖心が背筋を走るのであった。以前、日本の宇宙開発の創始者といわれる故糸川博士の事務所を訪ねた事があった。
博士はエイズがまん延し始めたのは、人類があまりにも便利に移動出来るようになったからである。本当は人間はそんなに急いで移動してはいけないのだ・・・と。
今だから言える事なのだが、その時に、博士は「この事務所はアメリカの情報局に盗聴されているから君たちの名前がリストに載る事になるかもしれませんよ」・・・と。
まさかー、冗談でしょう・・・。と信じなかったのだが、今思うとあながち妄想ではなかったような気がしてならない。
そんな事を話題にしていながら、ご本人は世界一のバイオリンを完成させる事と高齢になってから始められたクラシックバレエについて熱く語っていたのを今でもハッキリと記憶している。21世紀の人類を憂いの眼差しで見つめていた。糸川博士が言われたように、人類は手にしてはいけないものを手に入れたのだろうか・・。
クローン人間しかり、原発しかり、そしてスペースシャトルさえも・・・。
宇宙開発に最も近い立場で日本を見つめた博士の言葉ゆえに重みがあった。いつまでも戦争等という野蛮行為から脱する事の出来ない21世紀の人類を、いま糸川博士はどんな目で眺めているのだろうか・・。
SARSが大事にならない内に沈静する事を期待して・・・ 。