2013年 2月1日Vol.1 序章 LEAF 発注契約
吾輩はEV・・・、ひょんな事からTeam Jonasunのメイン・ヴィークルとして今月から導入される事になった。
正式にはニッサンZAA-AZEOというらしい。
さっそく「Jonasun LEAF」ジョナサン・リーフと命名された・・・
これから訪れるであろう吾輩のこのEV体験を、みんなと一緒に楽しむ事にしよう・・・!!
↓ 初代Jonasunは竹と和紙で創ったソーラーカーとしてみんなに可愛がられた。(1994年製作)
二代目Jonasunはウレタン素材と木目のボディが重くて車軸が曲がった失敗作だったがみんなが良い勉強をした。(1995年)
http://jonasun.com/oldsolarcar/movie/jona95.mov
↓ 三代目Jonasun(1996年製作)はオーストラリア3000km参加を目指して本格的な空力ボディを纏い、オーストラリア大陸縦断を2回完走(96年&99年)、99年大会でクラス2位になった後、丈夫な足回りを活かして2001年にユーラシア大陸横断1万1000kmの冒険旅行を実現した頑張り屋だった。(大潟村干拓博物館在住)
↓ 四代目Jonasunは三代目のスペアパーツとベニヤ板で作った小さなマシン。レース最終日にフレームが折れて終了したが成績は良かったのとグッドデザイン賞をGetした。(レース後は製作を手伝ってくれた東章産業さんにパーツとして寄贈)
↓ 五代目Jonasunは水素と燃料電池と太陽電池のハイブリッドマシンで2007年オーストラリアに参戦してエアーズロック周回のおまけを頂きフジTVの番組になった優秀な子だった。(大潟村干拓博物館在住)
六代目Jonasunはまだ設計図の原案のみだが、二人乗りのペダルカーを製作予定・・と言い出してからはや4年超が経過しているが、まだ姿は見えない・・・(脚力が衰えて来た感じで、完成が急がれる・・・笑)
2007年にオーストラリアから戻った直後にJonasunチームの指令車のエスハイことエスティマ・ハイブリッドが、雪道で大破した・・・。雪道でスピンして壊れてしまったのだが、エアバック体験のおまけ付きで山本は命拾いをした。
この後にホンダが三代目Jonasunのフレームの生みの親でもあるT氏が手掛けたクラリティを出す・・という噂で、我がチームは絶対にそれは買いたい・・・という事で、クラリティが出るまでの繋ぎとしてオデッセイを導入した。
ところがクラリティはなかなか世に出て来ない、更にはオデッセイの下取り価格が下落した為、今度は買い替えが出来ずに様子見をしていた中、二回目の車検が迫った先月のある日・・・三菱のブラグインHBとブリウスのプラグインHBを見に行ったついでに日産のショールームを覗いた。
オデッセイの車検とスタッドレスタイヤの購入とモロモロを考えたら買い替えるなら今がチャンス・・という事で、「これいくらですか・・?」
って聞いていた・・・(苦笑) こんなもの衝動買いする奴がいるか・・・(怒)何よりも背中を押してくれたのが、オデッセイの下取り価格がローンの残債と一致したことで、もはや躊躇する必要がなかったのだ・・!!
でも、よーく考えると、200km程度しか走れないらしいし充電スポットはまだ全然整備されていない。
想像するに通常のガソリンタンクの残量がいつも1/3位で走らなければならない事になる。
遠くに行けない車である事がストレスだ。しかし皆がインフラ整備を待っている限りいつまでたってもEVは普及しないのだから、それを覚悟で導入する好奇心の旺盛な人がブレイクスルーするしかないのであります。というわけでEVに関わって早くも20年になる我がJonasunチームがその一役を担うのは宿命・・・なのかな。
Jonasun基地に装備された充電スポット
200Vの電源は美容室の容量に余裕があるので問題なしだ・・・
この工事の為に屋根から落ちて2m以上に積み上がっていた雪と氷柱を排除する作業をみんなで2日以上掛けて実行・・・
無事に充電スポットは準備出来た・・ヤレヤレ
後は吾輩がこのJonasun基地に納車されるのを待つばかりなのだ。 本音は温かくなってからの方が助かるのだが・・・
だって暖房を使うと走行距離が短くなるんだってねぇー・・、ヘッドライトをつけると距離が更に短くなるんだってねぇー・・・ちなみに吾輩のSPECは以下の通り:
全長 4.44m
前幅 1.77m
体重 1520kg
Batt 24kWh (リチウムイオン・バッテリー)サイズは四代目・五代目Jonasun と殆ど変わらないが、体重が10倍でBattの容量も10倍・・・
何となく想像がついて来た・・・
まぁやってみるしかないって・・・苦笑
あとは納車を待つばかりだ・・・乞うご期待!!
つづく